酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団 11/20

<<   作成日時 : 2016/11/20 20:02   >>

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連休が取れたので、古巣関西に戻りマーラー三昧。きょうはその一発目、大阪にてマイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団による『巨人』だ。MTTとSFSOコンビのマーラーは評判がいいし、何より今をときめくユジャ・ワンをソリストに迎えてのショパン(しかも2番)が前プロというのも魅力的。楽しみにしていたのだが…(以下辛口コメントなので、読みたくない人は読まないでください)。

【前半】
ティルソン・トーマス:アグネグラム
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調
(ピアノ ユジャ・ワン)
【後半】
マーラー:交響曲第1番 ニ長調『巨人』

結論から言うと、ずいぶん散漫な印象しか残らない演奏だった。ショパンも、マーラーも。指揮者、ソリスト、オーケストラと、力量は申し分ないのだが、いまいち筋が通った感じがなく、「どういう音楽をやりたい」というメッセージが伝わらない。

一曲目はMTTの自作で、これは楽しかった。5分弱の小品だが、ジャズ調の小気味よい音楽で、アメリカのオケの名刺代わりにぴったりだ。各楽器の鳴りっぷりがよく、変拍子で打楽器も活躍、賑やかで華やかだ。

そしてショパン。ユジャ・ワンは、「なんちゅう格好を…」と心の底からツッコミが漏れるような、倖田來未も真っ青の、ピチピチの超ミニスカート・露出度MAXの出で立ちで登場。ペダルを踏むのに支障が出そうなカサ高のハイヒールで舞台中央までぎこちなく歩いてきて、身体を160度くらい「ポキッ」と折るような変な答礼を一瞬したかと思えば、おもむろに椅子に腰掛ける。

このショパン、MTTの指揮する伴奏パートはたいそうユニークだった。チェロが5、コントラバスにいたっては3と、「室内楽か?」と見間違うばかりの小編成。テンポは極度に遅く、管の突出を忌避するように音量を最小限に抑制し、文字通り室内楽のようだ。よく「ショパンのオーケストラパートはグチャグチャだ」と言われるが、MTTは、音を徹底的にセーブ、スリム化し、音楽をとことん丁寧に奏でることで、「これなら聴けるでしょう?」と示しているかのようだった。

ところが、どうもユジャ・ワンのピアノはつかみどころがなくて、何がやりたいのか分からない。このピアニストは「テクニックがすごい」とよく評されているが、ところどころミスタッチがあり、どう聴いていいのかいっそう分からなくなってきた。第2楽章の、ノクターンのような静謐な音楽は、それなりにニュアンスを出し、弱音も輝いていたが、好みから言えば、ユジャ・ワンの音はゴージャスすぎだ。音に情報が多すぎる。もっとシンプルでいい。響かなくていい。もっと一音一音を大事にしてほしい。この印象が、最後までぬぐえないまま、終わってしまった。

アンコールで弾いた、例のホロヴィッツの『カルメン幻想曲』は、さすがに面目躍如で、気の強そうなステージパフォーマンスと相まって、会場の空気を呑み込む奔流のごとき演奏だった。しかし、肝心のショパンに関して言えば、彼女は一体どんなショパン像を胸に抱いているのだろう。巨大な疑問が残った。ゴージャスで、金ピカで、ムード音楽的で、ひたすらロマンティックなショパン? 例えばそうならそうで、そう振れ切って欲しい。吹っ切れて欲しいのだ。

テクニック推しのピアニストと評される(本人がそれをどう受け止めるかは別にして)奏者は、古今東西、一定数いるが、あえて言えば、ピアニストなのだから、難曲でも何でも、弾けて当たり前だ。テクニックが備わっていて当然なのだ。備わっていなければピアニストではないのだ。鍵盤上を縦横無尽に駆けめぐる指や、激情的なステージパフォーマンスが見たくてコンサートに行っているのではない。その指やパフォーマンスが、どんな音楽に結びつくのか、生み出すか、にこそ意味があり、興味がある。ユジャ・ワンには、「自分の思い描くショパン」を、もっともっと突き詰め、音にして欲しい、と思った。

後半は『巨人』で、誰がやってもそれなりの迫力が出て楽しめる音楽だが、これまたMTTの目指すところがよく分からない。うねるような情のマーラーでもなければ、理路整然とした知のマーラーでもない。クライマックスをどこに見出しているのか。マーラーのフォルテを味わえばいいのか、弱音を味わえばいいのか。たとえるなら、箸で食べるのかフォークで食べるのかすら分からないような多国籍料理が、どれが前菜でどれが主菜か分からないまま大量に目の前に運ばれてきて、食べあぐねているうちに閉店時間が来て店から追い出される、みたいな展開だったのだ。

ちなみにMTTの指揮スタイルは、自分が知りうる指揮者の中で最も“脱力系”で、手首をブラブラさせながら適当に拍子をとるだけのいたってシンプルなものだが、今回はキューが甘かったのか、金管が大胆に入りを間違えるような凡ミスもあり、ズッコケそうになった。

第1楽章のフィナーレはじめ、ところどころ大見得を切るような芝居を打っていたのには笑みがこぼれたが、一番「?」だったのは、第4楽章の副次部分、マーラーが青春を謳歌しているかのような絶美のカンタービレで、繊細な弦の旋律に、なぜかホルンの汚い拍動(失礼…)を強調して重ねていた部分だ。聴いていて、つい「何かの間違いか?」と思ってしまったが、MTTの解釈だったのだ。ちょっと、センスを疑ってしまう。マーラー演奏に定評のある指揮者だが、その本分はついに分からずじまいだった。ちなみに、MTTを聴くのは、だいぶ前のPMFのマーラーの5番以来だが、実は、その時の演奏もあまり印象に残っていない。

『巨人』はメータ、ラトル、シャイー、ネゼ=セガンなどずいぶん有名どころを実演で聴いてきたが、シャイーの火の玉のように猛烈な爆演が、いまだに脳裏から離れず、セガンの勢い迸る音楽も痛快だった。

日曜のマチネーということで、会場は満席。改築してから初めて訪れるフェスティバルホールは、ずいぶん立派で巨大なホールに生まれ変わっており驚嘆した。自分が実演で初めてマーラーを聴いたのは旧フェフティバルホールで、外山雄三の振る大フィルの『悲劇的』だった。また、旧ホール最後のコンサートだった大フィルの第9を客席で聴き、最後に『ホタルの光』を全員で合唱した記憶も蘇ってきた。ホールの前には土佐堀川(?)が流れ、川沿いの並木道を淀屋橋まで歩くと何とも気持ちがいい。

引き続き、パリ管の5番とバイエルン放送響の9番を聴くので、こちらに期待をかける。

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