酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 11/23

<<   作成日時 : 2016/11/23 17:42   >>

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勘弁してくれ。ヤンソンスとBRSOのマーラーの9番は、卒倒するほどの名演だった。昨日のパリ管の凄絶な5番の余韻も醒めやらぬというのに…。明日から仕事に復帰だが、感動しすぎて、働く気力を完全に失った。言葉が見つからない。ホールを覆うマーラーの深い響き…こんなに豊かで満ち足りた時間は、ほかにちょっと見当がつかない。

マーラー:交響曲第9番 ニ長調

情念がドロドロと渦巻き、感覚にまとわりついてくるような、クドいマーラーでは決してない。スコアと真摯に向き合い、アンサンブルを何より尊重し、「音楽がどう響くか」を冷静につきつめた、上質で艶のあるマーラーだ。第1楽章など思いのほか響かず、部分的には箱庭的にこじんまりとまとまりすぎてきて、肩透かしを食らったところもある。ところが、大太鼓がとどめの一発を食らわすクライマックスへの持って行き方などさすがに堂に入っており、いわば、「あらゆる虚飾を排した音楽」を彼らが志向しているのだ、と徐々に気付いてくる。何ら無駄がなく、そして不足がない。

ヤンソンスの職人芸は、中間楽章にも凝縮される。第2楽章のレントラーを、鋭い弦で抉りながら、聴いたこともないリズミカルで躍動的な音楽に仕立て上げる。これまでは正直、この曲を実演で聴くにつけ、「つまんない楽章だ、早く終わらねぇかな」と思っていた。しかし、遊びに満ち、なおかつ恰幅の良いヤンソンスのレントラーは、全ての楽器が思う存分鳴りきっていて、ぐっと引き込まれる。腸がよじれるような第3楽章のブルレスケでも、ほどよく遊び、なおかつ晦渋さを失わない。完成されきっているのだ。非の打ち所がない。文句のつけようがない。

そして、全楽章の白眉の終楽章は、信じられない音の小宇宙だ。意識が何度も遠のく。これは現実世界で鳴っている音なのか? ここは彼岸なのか?それとも此岸なのか?こんな音を出しているのは人間なのか?

豊穣な弦のアンサンブルだとか、上質なウィスキーのような音のブレンドだとか、もうこんなくだらない陳腐な修辞は、口にしているだけでアホらしい。BRSOの技術が云々、和声が云々なんて、賢しらぶった御託はこの際何の意味も持たない。そんな具合に、あらゆる雑念と邪念は、音の奔流の前に完全に雲散霧消した。最小限付言しておくとすれば、あんな重層的な弦の音圧は、並大抵の歴史と技量のオーケストラでは絶対に出せない。もともとヴァイオリンの弾き手だったヤンソンスだからこそ作り上げられる極上のサウンドだということも確かだ。そして、激動を経たラストのピアニッシモで、会場中に張りつめる、呼吸もできないような、途方もない緊張感と緊迫感。金縛りにあったかのように、身動き一つできないが、この苦さの中に感じる一筋の光明のような救いは何なのだ!?

得難い一時だった。最高のコンサートだった。ヤンソンスは単独で答礼に呼び出され、会場はスタンディングオベーションの嵐。

ヤンソンスの実演は4度目か5度目だが、この指揮者のコンサートは、あまりハズレた記憶がない。ときたま超ポビュラーなド名曲路線のプログラムを組んでくるのが玉に瑕で、全ての曲が名演というわけではないが、何より一回一回のコンサートを大切にしているのがよく分かる。音楽に、そして作曲家に奉職している雰囲気が好ましい。つい先日まで手兵だったロイヤル・コンセルトへボウ管との演奏会をザルツブルクで聴いたことがあるが、この時の鮮烈で才気に満ち溢れた刺激的なバルトークとムソルグスキーは、これまでの自らのコンサート体験の中でも最も強烈な思い出だ。きょうのマーラーは、そんなヤンソンス体験の、忘れ得ぬ新たな1ページになった。

ひょっとすると、きょうのヤンソンスの解釈に不満を抱いた人も少なからずいるかもしれない。序盤がいまいち乗り切らなかったことに加え、死の観念だとか、マーラーの思索的な部分、情念的な部分には、それほど深入りしていないからだ。言うなれば、旅行会社がすべての行程を緻密に組み上げた完璧なツアー旅行みたいなもので、凱旋門やエッフェル塔など、主だった観光地は、高級リムジンバスに乗ってくまなく回れるが、「移民街をフィールドワークしたい」とか、「ムーランルージュで夜の大人の楽しみを満喫しまくりたい」という客の好みには、そんなに応えていないのだ。その辺は好き好きだろう。

一流どころのコンサートを立て続けて聴いてつくづく感じたが、やはり「いい演奏」には共通点がある。まず、コンサートの冒頭、「つかみ」の部分から、「きょうは何かありそうだぞ」と匂わせてくること。そしてもう一点は、演奏中、俗事を忘れて音楽そのものに没入させてくれることだ。その瞬間は、家のことも仕事のことも、面倒臭いことも気掛かりなことも、気持ちいいまでに消し去ってくれる。

兵庫県立芸術文化センターを訪れたのは6年ぶりくらいか。ここはアコースティックはかなりドライだが、場所柄か客層もセレブが多く、耳が肥えている。無節操に咳き込む人は相変わらずいたが、終楽章が終わっての深い深い静寂の時を共有できてよかった。冷え込んだ外気の中、西宮北口駅に歩いたが、遠くに山を望む瀟洒な住宅街が開けていて、垢抜けた文化都市といった風情だ。老後はこんなところで過ごしたいな、とふと思ったり。祝日の昼下がり、こんなマーラーを身近に聴けるのだから、たまらない。

こうして、関西での晩秋のマーラー三昧はおしまい。明日から社会人生活に復帰か、はぁ…。当面は、来月のデュトワ・ブロムシュテットのN響コンサートを楽しみに暮らします。

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