酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 『コジ・ファン・トゥッテ』 12/9

<<   作成日時 : 2016/12/10 13:42   >>

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ノットの指揮するコンサート形式での『コジ・ファン・トゥッテ』は、まさにコンサート形式ならではの上質な舞台だった。モーツァルトの音楽に酔いしれた。さながら、芝居小屋で白熱した演劇を見ているような幸福な時間でもあった。

ノットは、通奏低音のハンマーフリューゲルも担当。座ったり立ち上がったり、八面六臂の活躍だ。「音楽に一貫性をもたせたい」という理由だそうだ。それにしても、3時間に及ぶこのオペラを鳥瞰し、細部まで統率するその才能に脱帽する。指揮ぶりは勇猛果敢だが、音楽はインテンポで、余裕のあるモーツァルトだ。

歌手は粒ぞろいだ。演技もすばらしい。軸となっていたのが、ドン・アルフォンソを演じる重鎮トーマス・アレンだ。さすがに、声量などは昔日の面影を偲ぶほかなかったが、立ち姿は老獪な哲学者そのものだ。舞台によく映える。フィオルディリージは、予定していた歌手が急病でキャンセルし、ヴィクトリヤ・カミンスカイテというソプラノが代役として歌ったが、大いに健闘した。途中台詞を失念するトラブルもあったが、独唱部になると、水を得た魚のように瑞々しい歌を聴かせ、心を揺さぶった。デスピーナを歌ったヴァレンティナ・ファルカスのコミカルな役づくりも、舞台に華を添えた。

今回の上演は、舞台前方のスペースに、簡易の机と椅子を並べ、そこで演技を繰り広げるスタイルだが、これが案外いい。時には、指揮のノットのところに詰め寄って演技に巻き込んだりと、やりたい放題なのだが、とにかく楽しそうで、気の置けない音楽仲間といった一体感がある。

東響も健闘したが、やや不満も残った。絞りに絞った編成で、アンサンブルは室内楽のように透き通る。さすが、スダーンによく鍛えられている。しかし、時にはもっとハジけ、自己主張してほしい。歌手に気をつかっているのか、大人しすぎ、ナチュラルトランペットや硬質なティンパニの音色も生きていないと感じた。徹頭徹尾荒っぽくする必要は全くないのだが、劇的な場面と叙情的な場面のメリハリがもっとあればよかった。フィナーレをあそこまで盛り上げられるのだから、時にはもっと大見得を切ってほしかった。

それにしても、改めて、モーツァルトの天才ぶりに驚嘆した。ダ・ポンテは、当初サリエリに作曲してもらうのを想定して『コジ』の台本を書いたそうだ。モーツァルトに代わって大正解だった。『コジ』はダ・ポンテ3部作の中ではやや地味なきらいがあり、たしかに第1幕の中盤や第2幕の序盤に冗長さを感じるが、各幕フィナーレや第2幕終盤の畳み掛けなど、まさに神っている。独唱部分が少なく、アリアに拍手喝采するチャンスが少ないのは寂しいが、一方で、モーツァルトの重唱の妙味を堪能しつくせるのが、『コジ』の美点だ。

ダ・ポンテの台本もなかなかなもので、『フィガロ』で貴族政治を笑い飛ばし、『ドン・ジョヴァンニ』で男の強欲に釘を刺し、『コジ』で女の貞操を切り捨てる。「こうあるもの」という既婚の価値観を、気持ちいまでにぶち壊してくれる。現代、しかも日本に生きる人々への訴求にも事欠かない。そして、古びた“古典派音楽”を洗い直すモーツァルトの鮮烈な音楽は、ダ・ポンテの台本と見事に志向が合っている。最高の共同作業だ。

ミューザ川崎シンフォニーホールは、実は初めて足を運んだが、立派なホールだ。モーツァルトをやるにはやや大きすぎるが、舞台が客席に近く、そういう点でも芝居小屋っぽい。1階席の前方などで鑑賞したら最高だろう。今後、順次『フィガロ』と『ドン・ジョヴァンニ』もやるということなので、楽しみで仕方ない。


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