音楽の小宇宙――ヴィンシャーマンのバッハ演奏会

更新しようしようと思いつつ、なかなかまとまった時間をとることができない。必然的に更新は晩になるのだが、やはり晩は早く休みたくなるこの季節。特にここ数日、外気が実に冷たい。起床がなんともつらい冬が本格的にやってきてしまった…(苦笑)
こんな中、楽しみは何よりも帰宅してからの酒、そして音楽である。冬場でもビールを欠かすことはないのだが、健康面も意識し、ビールの後にはお湯割の焼酎を楽しむようにしている。節度を守ればやはり百薬の長である。ストレス解消に有用であるし、体が冷めない。
となると、あとは同時に楽しむべき音楽に想像が巡らされる。最近やたらとR.シュトラウスを聴くが、絢爛豪華な大管弦楽は、疲労困憊のこの身には若干こたえるかもしれない…。以前は帰宅後に平気でショスタコーヴィッチやメシアン、またはマーラーやブルックナーなどを楽しんでいたのだが何せ休明けで体がまだ世の中の動きに順応しきっていない年始の時節柄、心をクールダウンさせる音楽を求めてしまう。
すると、思い浮かぶのはバッハである。先年末、いずみホールで聴いた演奏会が、再び鮮やかに脳裏に蘇る。ヘルムート・ヴィンシャーマン/大阪フィル演奏会。前半に『音楽の捧げ物』、後半に『フーガの技法』を配した、2時間近い濃密な演奏会だった。特に印象深いのはフーガの技法。1声の音楽が2声、3声の音楽へと無限に膨らむ。音価を変えた主題旋律が幾重にも重なったかと思えば、今度は主題の反行形が再び編み込まれ、弦楽器、管楽器が質実に音楽のタペストリーを編み上げていく。まさに音楽の実験で、和声や対位法の可能性が極限的次元にまで追求される。
だが、聴いていて複雑さは皆無なのだ。あくまでも限られた和声進行のうちに音楽が書き上げられ、調性も十分に保たれているから、バッハの実験を、例えばシェーンベルクのそれと比べるのはナンセンスな話である。だが、幾何学的とも言えるその音楽的可能性の探求の帰結として、あくまで耳には平明で、なおかつ瞑想的な音楽を生み出すバッハの魔力はとてつもない。
楽器指定さえなされず、速度指定も曖昧な作品であるから、これらの楽曲の創意のベクトルは、確実に作曲家当人に向く。そうした意味でも、これらの作品は、その後の音楽界の展開をも予見した内容を有するかのようだ。
まさに音楽の小宇宙である。
ヴィンシャーマンの深い音楽性はバッハの音楽の本質を鋭くとらえていた。古楽器も大好きだが、音楽の魅力を聴衆に伝達するという音楽的命題を十全に果たす演奏の前に、やはり奏法の問題など些事なのである。
ということで、今日は今から静かにバッハでも。

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