コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団大阪公演

  3月7日、ザ・シンフォニーホールにおけるコープマンの演奏会に足を運んできた。プログラムは、J・S・バッハの管弦楽組曲全曲、である。

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  コープマンは確か昨年末も来日し、いずみホールでチェンバロリサイタルを開催していた。そのコンサートにも若干興味があったのだが、「どうせならまたいつか手兵と来日する際に聴きにいこう」と見送った。すると、幸運にもその希望が早々に実現したわけだ。
  しかし、チケット購入後しばらくし、不吉な知らせを目にしてしまった。このコンビの来日公演の招聘元である、ムジークレーベンという音楽事務所が、年の瀬に破産した、というものであった。さらに、そのホームページに記されていた内容にしばらく言葉を失った。「払い戻しは不可能」といった旨が記されていたのである。

 私は法律に関して詳しくないから、その文面が、本当に「払い戻し不可能」という事実を伝えるものであるのか確証は持てないし、また、勝手にそんなことを決定して、違法性がないのか、知る由もなかったが、とにかく目の前が真っ暗になるような思いだった。思い返すと、私自身の履歴の中では、シャイー、小澤についでの3件目の公演中止だ、と我が身の不運を呪う。

 ところが、妙なことが起こった。予定されていた彼らの来日公演4公演のうち、中止になったのはサントリーホールなどにおいての東京2公演のみ。大阪公演と茅ヶ崎公演の2公演は予定通り開催する、という。これには驚いたし、事の因果がいまいち分からなかったのだが、とにかく胸をなでおろした。恐らく、大阪公演の主催は朝日放送だから、その主催者側の関係で可能になったのだろうと思うが、よく分からない。とりあえず、当日シンフォニーホールにコープマンとその手兵はやって来ていた。朝日放送には感謝、である。もちろん、そうした状況下で、キャンセルもせずに来日してくれた、コープマンと、アムステルダム・バロック管弦楽団のみなさんにも感謝しなくてはいけない。

 ただ、不安要因はまだ消えない。シンフォニーホールの客入りが、かなり悪いのではないか、という不安が脳裏をよぎったのである。

 先年、このホールで、大者テミルカーノフの指揮するサンクトペテルブルグフィルを聴いたとき、客席のあまりの空き具合に、演奏者の士気を案じた。そして、同じく先年6月のロイヤル・フランダースフィル公演の空席状況も凄まじく、「どうせプログラムがモーツァルトなのだから、いずみホールで十分なのに…」と一人残念がったことを思い出した。後者公演の指揮者は、フィリップ・ヘレヴェッヘ。今回のコープマンと同じく、古楽界の大立者であるはずの人だ。「ピリオドアプローチはこれほどまで人気がないのか」と絶句した記憶が、コープマン公演が近づくにつれて蘇ってくる。A席・B席・C席の価格設定が、それぞれ9000円・7000円・5000円である点も共通だ。一般的には、それほど高額とも思えない価格設定だ。ヘレヴェッヘ公演は日曜の午後という休日公演だったが、客入りはあの様相。コープマン公演も土曜晩だか、やはり客入りは期待できない。

 そして、当日蓋を開けてみると、やはり客入りは、満席とはかけ離れ、7割弱という具合だった。舞台正面2階席に大きな空きスペースができていたり、2階サイド席も閑散としていた。だが、ヘレヴェッヘ公演よりは幾分ましであった。コープマンの方がビッグネームなのだろう。

 では、肝心の演奏に際して。

 演奏の曲順は、第3番・第1番・休憩・第2番・第4番。この曲順の根拠は知らない。コープマンは学者気質だから、何らかの学術的根拠があるのだろうが、ひょっとすると、演奏効果とか、ステージセッティングのやりやすさを考慮してのことかもしれない。

 舞台上に奏者が並んだとき、予想よりも演奏者が少ない、と気付く。大編成の第3番で20人。通奏低音(チェンバロ)兼務で指揮をするコープマンを合わせてこの人数だ。
 コープマンの身振り、動作はきわめてユニーク。驚くほど前後・左右へと体を動かし、力強くチェンバロの鍵盤に指を叩きつける。ニュアンス抜群の指揮で、「いかにも気の良さそうなおじさん」といった風情に、笑顔を絶やさない。
 一方、オーケストラの方であるが、どうも音が十分に届いてこない。ただし、これは、当たり前の話である。アムステルダム・バロック管弦楽団は、古楽器の使い手たちによるオーケストラだ。よく考えると、私が古楽器を実演で耳にするのは、初めてのことであるのだ。ノリントンを聴いたときは、シュトゥットガルト放送響、ヘレヴェッヘを聴いたときは、ロイヤル・フランダースフィル。古楽系指揮者に実演で接してはいるが、オーケストラはいずれもモダン楽器によるものだったのだ。以前、アーノンクールが手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと来日したときは、あまりの高額なチケット料金設定に、見送らざるを得なかった。
 だから、初めて実演で古楽器を耳にし、「これほどまでに音が響かないのか」と、しばらく驚いていた。壮麗なはずの第3番が、どうも盛り上がらないのである。こじんまりした、完全な室内楽風味のバッハ。
 コープマンの演奏は、極端にアーティキュレーションを強調したり、急速なテンポ設定をとったりする、急進的古楽派の演奏とは一線を画する。フレーズの切り方や、デュナーミクのつけ方に、やはり古楽特有の方法論を垣間見ることができるものの、刺激は強くない。

 「今から300年前、バッハはこう奏でられていたのではないか」――演奏を聴き進め、私はそう想像した。あくまで、これは全く想像の話に過ぎない。学術的裏付けをできるほど音楽演奏法や楽器、歴史の知識はないからである。だが、たとえばこのコープマンの演奏を、ゲーベルの演奏と比べたり、アーノンクールの演奏と比べたり、ミンコフスキの演奏と比べたりすると、(あくまで私自身の主観によるものであるが)「真正性」の雰囲気の色濃さでは、どうもコープマンが一番高いように感じるのだ。何度も断るが、これは完全なる私個人のイマジネーションの世界である。だが、同じ楽譜をみて奏でられる音楽として個々の演奏を比較したとき、現在の急進的古楽派は、モダン楽器との差異の強調を主眼に据え、それを誇張的に提示することに、腐心しすぎているのではないか、と率直に感じたのである。
 
 この問題は、音楽を「面白く」、「エキサイティングに」聴くこととは別のはなしだ。何をもって音楽を聴くことの目的とするかによって、コープマンを聴く場合と、アーノンクールを聴く場合は差異化される。それぞれに良さがあり、それぞれを別の聴き方で評価するだけでよい話である。一番重要なのは、その歴史的考証という事実のみに目を向けないこと、また、「真正性」の段階に固執した聴き方を標榜しないこと、であろう。だから、私がコープマンのバッハを、300年前のバッハ演奏との親近性が強いと感じたのも、あくまでイマジネーションによる、「楽しみ方」の次元の話であるのだ。

 「G線上のアリア」も、それほどの思い入れを示さず、淡々と進む、という印象だった。第3番を終えての第1番。個人的には、全4曲の管弦楽組曲の中でもっともなじみが薄く、実演でも一番面白くないと感じた。
 このコンサートの白眉は休憩後の第2番であったと。なんと、奏者は各楽器1人ずつ、たった7人による演奏である。そして、それぞれの奏者がソリストとしての妙技を披露し、コープマンのチェンバロものりにのっていた。ちなみに、全曲共通して言えることだが、コープマンのチェンバロは、抜群の存在感である。ただ低音部を下支えする端役とだけみてはいられない、自由闊達な表現である。まさに、音楽を主導するほどの存在感。2番では、その編成の少なさゆえ、チェンバロの主導性がより明確化し、フルートもアンサンブルの中で突出しない。推進力が強く、音楽が躍動して聴こえてき、全曲の中で出色のできだった。最後の第4番は、冒頭からどこか第3番と雰囲気が酷似しており、また、3拍子の音楽が続くので、どうも魅力では第2番や第3番には劣る。終曲は祝典性の強い音楽だが、コープマンは例によってそれほど管打を突出させず、平穏なアンサンブルと中庸なテンポのもとに楽曲を終結させた。

 アンコールは二曲。ヘンデルのアニヴァーサリーを記念して、「水上の音楽」第1組曲からの1曲、またラモーの音楽を披露した。ヘンデルは、元来の楽曲の成立背景も踏まえれば、バッハの管弦楽組曲よりずっと壮麗に、華やかに演奏できる音楽である。コープマンはどう演奏するのか、と思ったら、かなり派手にやってくれた。純粋に「楽しめる」魅力的な音楽であり、演奏である、と実感。正直、管弦楽組曲の第1番を聴くより、「水上の音楽」を聴きたかったのだが、プログラムの統一感という意味では、今回の大阪公演も、学究的で面白いものだった。

 正直、印象的な演奏会、というわけではなかった。響きが脳裏に焼きつき、音楽が「瞬間」単位でよみがえってくるような部類の演奏会ではない。むしろ、「考えさせる」演奏会だった。それはそれで、十分意義深く、ユニークだ。

 ただ、音楽を聴くという行為の本質が、そこにあるとは思わない。だから、このコンサートの評価を的確にはできない。「時間」のみが評価の決定権をもっている。

 あと、やっぱり、このコンサートはいずみホールでやった方が良かった、と思う。

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この記事へのコメント

2009年03月09日 15:43
こんにちは。
東京公演の中止で、チケット代が返ってこなかった人が知人にいますが・・・。(苦笑)
来日自体が中止になったとばかり思ってましたが、大阪には来たのですね、知りませんでした。
最近あまりクラシックのコンサートに行ってないのですが、「空席が目立つ」話、業界の先行きが心配ですね。
2009年03月09日 16:05
REIKOさん

当ブログ、初のコメントありがとうございます(笑)
東京公演のチケット、実際に返ってこなかった方おられるのですね…。お気の毒です。たしか、プレイガイドを介さず、招聘元から直接チケットを購入された方が返金の対象外となったはずですよね。この辺の仕組みはなかなか厄介です。同じ音楽事務所が企画していたフランスのオーケストラの来日公演も企画倒れに終わってしまったようで、残念です。

客入りの悪さ、悲しいですね。地元のプロオケの定演などは、かなり客入りがよいのですが、最近はビッグネームの演奏会で空席が目立ってきました。もう海外オペラ座の来日公演を関西で聴くことは半ばあきらめていますが、海外オケの関西公演を存続してもらうためにも、集客率の改善は急務だと思います。どうすればいいんでしょうかねぇ…。
あいり
2009年07月18日 03:46
最近仕事ばかりで毎日退屈してます。そろそろ恋人欲しいです☆もう夏だし海とか行きたいな♪ k.c.0720@docomo.ne.jp
るな
2009年12月26日 10:51
初書き込みで申し訳ないんですが、都合のいい男性探しています。不況の中でも会社が高成長してて、忙しい毎日です。お陰でプライベートが充実していなくって、溜まる一方です。財産的にも多少余裕が今のところあるのでお礼もできます。消されないうちにメールくれたら嬉しいです。inspiration.you@docomo.ne.jp
20年ぶりに聴くコープマン/アムステルダムに感動!
2013年10月21日 20:30
なぜ20年ぶりかと言いますと、私が大切にしていた録音の中の一つで、それは1991年のモーツァルト交響曲連続演奏会で50曲の交響曲を東京芸術劇場で演奏されたBSチェックでDATで1993年に録音したものです。最後はモツレクです。
DATのテープは約800巻ほどあるのですが、ソニーは悪者(笑)で、DATの製造を数年前に中止したため、大事な録音を永久保存しようとCDにコピーし始めたのです。恥ずかしながらこの度20年ぶりにということなのです。
コープマンが古楽器が奏でるモーツァルトは心に潤いを与える最高の演奏だと改めて感じさせられました。
岡山→東京→大阪経由岡山在住のターチャオです。
fidelio@gold.megaegg.ne.jp
tahchao@softbank.ne.jp

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