『トゥーランドット』公演に思う――びわ湖ホールと大阪センチュリー交響楽団

 昨日もびわ湖ホールでは『トゥーランドット』2日目公演があり、1日目・2日目通して、多くの公演評がウェブ上にアップされている。

 以前、大植英次のマーラーにおいても痛感したことだが、本当に感性というものは人それぞれだ。演奏面、演出面両面において、多様な意見が飛び交っている。
 こういう状況は、非常に好ましい。まさに、芸術というのはこうでないと。勝手な解釈で申し訳ないが、賛否両論出た方が、主催者としても、やりがいがあったというものではないだろうか。今回の公演に際し、私自身は個人的に否定的な批評を記述したが、ただ貶め、けなして、終わり、では建設性がない。否定的見解は述べつつ、よかった点をも指摘し、今後のオペラ公演の展望に期待をもっていきたい、というのが率直な心情なのだ。
 
 基本的スタンスははっきり言っておきたいが、私は、びわ湖ホールのホール主催、沼尻氏指揮のオペラ公演を、毎回、本当に楽しみにしている。沼尻氏に関しては、いつも実際的な指揮法に関する非難ばかりしているが、びわ湖ホールでどんどんキャリアを築いて、世界的にオペラ指揮者として活躍してほしい、という期待をももっている。

 そうした期待が高すぎるゆえ、いつも厳しいコメントばかりしてしまっているが、びわ湖ホールは、もっともっと意欲的なプロダクションを打ち出してほしい。このホールが、大阪センチュリー交響楽団と並び、財政的な苦境に立たされている状況は承知しており、その両団体を導く沼尻氏の苦労には、頭が下がる思いだ。だが、こういう状況に、本当に負けないでほしい。私のような非力な聴衆は、署名活動に参加したり、それなりのお金を払って、きっちりホールに足を運ぶ、といったことしか、手伝うことはできないのだが。

画像


 しかし、財政苦境になり、赤字を減らさなければならないからといって、文化事業への助成金をカットする、というのは、本来的に、政治・経済の根本理念であるべき、「経世済民」の思想と、矛盾しないだろうか。
 たとえば、大阪府の橋下知事が、赤字予算からの脱却に、まさに府庁で孤軍奮闘している様子は、私もニュースや新聞を通して深く知っている。だが、この政治家は、とにかく予算に赤字を組み込まないことを盲目的に追及しすぎるあまり、補助金カットを自己目的化させてしまってはいないだろうか。博物館や生涯学習センターの閉鎖、ないしは、オーケストラへの助成金カット。さらには、最近、大阪府立大学の大阪市立大学との統合(事実上の府大廃校)をも提唱している。もちろん、その補助金の金額と、社会的な利益・実益を天秤にかけ、しっかりその補助金の適格性を精査していかねばならぬのは事実だ。だが、現段階においての知事の補助金に関する発言は、いずれも、「精査」を欠いているし、もしくは、府民のことが念頭にあるとも思えない。何より、教育に関してあれほどにまで熱弁をふるうのに、その人間(人材)育成の基幹的空間であるべき、「府立」大学を、廃校にしようというのか。それも、財政の黒字化という、「おカネ」のために。驚くべき論理矛盾ではないか。
 つまり、政治・経済の基本は、あくまで、「民」であり、府民(国民)の生活であるはずだ。それなのに、現在の予算の議論というのは、肝心の「民」が不在。「おカネ」にまつわる執着が独り歩きし、その勢いに押された府民が、わけもわからずに「橋下、もっとやれ!」と応援するような状況なのではないか。

 私は、多くの地方都市に足を運んだことがあるが、たとえば、東北地方の宮城や岩手、ないしは秋田、青森といった都道府県(一般に、過疎が進行し、現在の地方間格差の被害をもっとも強く受ける場所とされる)の県庁所在地でしばらく生活してみると、その意外な快適さに驚かされる。もちろん、スーパーや病院の人口当たりの割合などは、大都市圏に比べると小さいだろう。だが、たとえば、県立博物館を無料で見学できたり、温泉とプールを融合させたレジャー施設に、家族連れが昼食を持参して集まり、一日を過ごしたりできる。また、当地で生まれた画家の博物館なども、比較的多く存在したりして、余暇を持て余すこともない。こうした諸施設は、大阪近辺とは異なり、駐車場も、無料である場合が多い。

 もちろん、芸術施設の多さでもって、暮らしやすさの指数に代替しようとは思わない。私は、芸術至上主義者でも何でもない。むしろ、指揮者、インゴ・メッツマッハーが断言するように、音楽などの芸術は、あくまで「余暇産業」であるとも言いきろう(注1) 。だが、先述の「疲弊する」諸地方都市と比しても、大阪の「暮らしにくさ」は明らかなのだ。もちろん、多くの興味深い文化施設は存在する。だがいずれも、高額な「おカネ」と引き換えを前提としたようなものばかりだし、それを余暇の一環として楽しんでもらおう、という意識が希薄としか言いようがないものばかり。だから、昨今経済危機で疲弊した府民は、おカネがそちらに自由に回らない。そういう事態「だからこそ」、経済的危機で切迫した日常生活を強いられているので、その精神的苦悩を、芸術や文化のもつ非日常性で補ってあげましょう、というのが、本来的な政治の役割ではないだろうか。この意見はきれいごとにすぎるだろうか。

 どんどんカットする前に、それをより「振興」させるという選択肢はないだろうか。より多くの府民が、縁遠いクラシック音楽と触れ合えるよう、半公務員である大阪センチュリー交響楽団を、その伝道師とする。そして、(もともとやっていたようではあるが)普段はクラシック音楽を実演しないような街に音楽家が出かけ、小澤征爾の「キャラバン」よろしく、音楽活動をやってもらったりはできないか。確かに、これにはさらに余分なお金がかかる。だから、安易なことは言えない。ただ、60名近い団員の生計を、即時的・緊急的な政治決定によって、一気に奪ってしまう、という事実を、より重大に考えた方がよかろう。そして、「振興」を図るという方法論により、財政健全化を促す、というのも、充分可能性の見込める一つの手段であるはずだ。
 そもそも、橋下氏のような、知名度抜群の知事は、カネを削りに削るというよりは、その知名度やポピュラリティーを活かし、大阪の「宣伝本部長」として、事業・物品の宣伝に東奔西走してほしい、と思うのだ。府民は、それを期待してはいなかったのか。

 かなり長引いたが、とにかく、短絡的な財政の緊急性で、文化事業をどんどんつぶすような事態は、人間生活そのものを害し、地域にとってのさらなる悪弊を誘発しよう。文化・芸術が、どれだけ人間の心に活力を与えるか、認識してほしい、と切に願う(先述した府大の例に関して、教育にも同じことが言える)。

 びわ湖ホールが、来年度も力強くプロダクションを打ち出してくれているので、とりあえずは胸をなでおろしている。大阪から少し遠いのが厄介だが、足を運ぶと、他に類を見ない、美しいホールだ。
 このホールに今後も足を運ぶことを楽しみにしている。

 とりあえず、今後も逆境にめげず、頑張ってほしい。

(注1)アルファベータ社から出版されている、『指揮者は語る!――現代のマエストロ、29人との対話』という本に収められている、メッツマッハーの記述からの引用だ。この本には、アーノンクール、ヤーコブス、ノリントンらが、自らの考える古楽にまつわる信念を明確に語るインタビューも収録されており、非常に面白い。また、ケント・ナガノの、意外なこだわり派の一面を垣間見、興味深かった。
 最近読んだ音楽書の中で、出色の出来だ。ぜひお読みいただきたい。
 いつか書評をより本格的にアップできればよいが・・・。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック