【in ミュンヘン】バイエルン国立歌劇場 ケーニヒス指揮 『ローエングリン』

「いやぁ、これだからオペラ放浪の旅はやめられないんだよなぁ」と心の底からつぶやきたくなる、素晴らしい公演だった。心が震える大感動。バイエルン国立歌劇場の『ローエングリン』。実は、5年前にこのオペラハウスで全く同じ演目をみたのだが、ついまた来てしまった。彼らのお家芸中のお家芸。それでも、まったく妥協するところがない。徹頭徹尾、真剣勝負。息つく間もない3時間半。「参りました」の一言。「来て良かった」と、しみじみ一息。

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この日は、朝7時半過ぎのICEでエッセンを発ち、ドイツを一路南下。午後1時過ぎ、ミュンヘンに到着。ミュンヘンは5年ぶりで、4度目。相変わらず、人種・民族を越えた様々な人たちが、駅頭を闊達に行きかい、世界中の言葉が飛び交う。全身ベールに身を包んだ女性、ロマ(ジプシー)風の物乞い、携帯ショップになぜか結集するアフリカ系の人々・・・何と自由な街なんだろうと、つくづく思う。来るもの拒まず、という空気を、街が醸し出す。大きなトランクを抱えて、家族で固まっているアラブ系の人々は、シリアからの難民かもしれない。こうした空気の中に溶け込み、暮らしたいと、中東からドイツを目指す難民たちの思いが、分かる気がする。

バイヤーを通り一筋入ったところにある、治安の悪そうな安ホテル街に投宿。この時14時。開演まで、あと3時間。「そうだ、ビール飲もう」と思い立つ。UバーンやSバーンに頼るのも味気ないと、旧市街地へ急ぎ足で歩く。石畳のいたるところから、ジャズやクラシック、アラビア音楽などのパフォーマンスが響いてくる。ツィンバロンでハンガリー舞曲を奏でる人まで。とことん自由だ。

歩くこと20分少々、ミュンヘン最大のビアホール、ホフブロイハウスに到着。それにしても、午後2時半を回ろうとしているのに、何という混雑ぶり!全く座る場所がない。彷徨していたら、料理を運ぶ女性店員に「ソーリー!」と一喝される。「そんな言い方しなくても」・・・というところだが、ぐっとこらえ、奥へ奥へと分け入る。前の客のゴミが雑然と残されたカウンターに少々の空席を発見。ようやく着席。でも、こんなに客がいる中で、本当にビールが自分のもとに運ばれてくるのか、不安だ。

周囲の人々がこぞってあおるのは、1リットルジョッキ。「これでこそミュンヘン」というところなのだが、オペラ中のトイレ直行リスクを回避するため、500ミリリットルにとどめる。残念。付け合わせに白ソーセージを頼んだら「売り切れ!」とのことだったので、普通のソーセージの盛り合わせを注文。

ビールはすぐに来た。でも、ソーセージが来ない。ちびちびビールを飲みながら、待つことおよそ20分。やっとソーセージが来た。ジャガイモとキャベツのサラダが大量に添えられている。相変わらず、ミュンヘンの料理は量が多い。他のドイツの都市より数割増しな印象がある。若干ゲホッとなりながら完食、再び宿へ。少々支度をして、バイエルン国立歌劇場に向けて出発。道すがら、市庁舎近くのマリエン広場で、日本の報道番組に定期的に出演している、某評論家を発見。たまに「風を読む」人だが、別の日本人と夢中でトークにふけっていた。開演10分前の16時50分、歌劇場に到着。

それにしても、「紳士淑女」という言葉をそのまま画にしたような客層もすごいが、このオペラハウス、本当につくりが絢爛豪華で、どこを切り取っても息をのむ美しさだ。何と気分を高めてくれることか。この日の座席は、1Fパルケットのど真ん中。140ユーロ少々と値は張ったが、こんな良席で『ローエングリン』を観れるとは、至福の一言。客席は、ほとんど満席だ。

この日のプロダクション、リチャード・ジョーンズの演出によるものだが、ここ数年、バイエルン国立歌劇場がずっと使いまわしているものだ。以前の旅行記に詳細に記したが、正直、イケてない。せっかくこんなに壮麗なオペラハウスなのに、舞台がみすぼらしいのが、ほんとにもったいない。無機質で、何の魅力もない舞台装置だ。開演前から、舞台上では、騎士とエルザの「愛の巣」となる家の図面づくりが、進められている。

自分が5年前に見た公演は、ケント・ナガノの指揮。的確で、クールで、素晴らしい演奏だった。そして今回の指揮は、ローター・ケーニヒスという人。知らない人だったが、アーヘン生まれの中堅指揮者だそうで、イギリスのオペラハウス等で活躍してるそう(ウェールズのオペラハウスの音楽監督とか?)。

そして・・・今回、このケーニヒスが、とてつもなく素晴らしかったのだ。なぜ、こんな超人が、日本ではそれほど知られていないのだろう?前奏曲から打ちのめされた。盛り上げ方が、最高に上手い。輝かしく、かつ静謐な弦の響きが、少しずつ、息長くクレッシェンドしていき、爆発的な頂点へ。もはや、戦慄だ。バイエルン国立管の、何と上手いことか。上質な高弦のつややかな響きが、気持ちを天上界にいざなう。低弦の重厚で芯のある刻みが、圧倒的な立体感と構築感を音楽に与える。そして、何と金管が輝かしいことか。ティンパニの一打一打が、どれほど質実なことか。こうした音をまとめるケーニヒスは、とにかく、音楽を響かせ、さらに響かせ、もっと響かせようと、ゆったりとした足取りで、オケと聴衆の気持を、じわりじわりと乗せて行くのである。

幕が開くと、ケーニヒスの統率力が、さらに本領を発揮する。舞台上に溢れかえる合唱団や歌手陣へのキューは、最高に的確で、音楽的。左手の細やかな表情付けが、音楽に即興の柔軟性をもたらす。強大な音圧を誇る合唱団の歌唱と、上階から降り注ぐ金管のバンダの音が生み出す音響空間が、最高に心地いいではないか。

肝心の歌手だ。結論から言うと、女声は◎、男声は○。男声が劣っていたということではないのだが、女声が素晴らしすぎた。強すぎた。

タイトルロールのローエングリンは、当初、クラウス・フローリアン・フォークトとアナウンスされていた。最高だ。ヨナス・カウフマンとともに、現代最高のローエングリンと並び称される一人。ところが、知らぬ間にフォークトは降板。代役は、ロバート・ディーン・スミスだった。フォークトの代役とは言え、よくこんな大物を呼んで来られたものだ。さすがバイエルン。個人的には、フォークトのローエングリンを、何年か前、東京で聴いていた(指揮はペーター・シュナイダーだった)し、これはこれでいいか、というところ。、客席には配役の交代を知らない人も多数いたとみえ、スミスが登場した瞬間、「えっ!?」というざわめきが起こった。かわいそうに・・・。

ただ、やっぱりいざ舞台でみると、スミスのローエングリンはいささか物足りない・・・。というのも、ローエングリンは、画にかいたような「白馬(白鳥)の王子様」役で、ノーブルで高潔な雰囲気もまとっていないといけないから。スミスは、だいぶお腹もボテッとたるんでいて、見るからに動きにくそうだ。その辺のギャップが、観劇していてつらくなる(贅沢ですが)。とりわけ、フリードリヒとの決闘の太刀回しの場面とか、第2幕で、エルザに「イッヒ リーベ ディッヒ」と、冗談のようなセリフを囁く場面とか。大きな声を出さなければならないヘルデン・テノールに容姿を求め過ぎても仕方ないが、最近の演劇性を増した舞台を見るにつけ、「歌手も大変な時代だなぁ」と、同情したくなる。

そのスミス、個人的には、歌唱もそれほど印象的ではなかった。たしかに美声で、「王子様声」だが、そんなに高音のハリも感じないし、声量もない。これまで、ベン・ヘップナー
クラウス・フローリアン・フォークトと生でこのオペラのタイトルロールを聞いてきたが、やはりフォークトに一日の長がある。男声で印象に残ったのは、ハインリヒを歌ったギュンター・グロイスベックという人。ハリのある美声で、客席にまっすぐに飛んでくる充実した低音が素晴らしい。演技もうまい。

エルザとオルトルートは手放しに素晴らしかった。悪役・オルトルートは、ぺトラ・ラングで、これ以上ないハマリ役。存在感が圧倒的で、よくあんな声量が出るもんだ。騎士とエルザにみなぎらせる復讐心が尋常ではなく、舞台上で狂気をはらんでいる。一方で、夢見る乙女エルザは、エディット・ハラーという人。可憐な声から強靭な声まで使い分け、これまたハマっている。

ジョーンズの演出は、基本は大胆な読み替えなどなく、要は騎士とエルザの揺れ動く心を、
「舞台上に“終の棲家”を建て、燃やす」という動きと重ね合わせて可視化させていることが要点ということか。まぁ、その辺はご自由にという感じだが、第3幕への前奏曲などで、合唱団にダンスを踊らせるとか、余計な動きで音楽鑑賞を阻害するのだけは、勘弁してほしい。

と、色々書いたけれど、やはり今日のMVPはどう考えてもケーニヒスで、エネルギッシュ極まりなく、鬼気迫る恐ろしい統率力で、グイグイ舞台をけん引していく。おそらく、ローテーション公演だから、そんなに入念にオケや歌手と練習を合わせたりしていないのでは?それでも、あれだけ明快に指揮で方向性を示してくれたら、演奏者・歌手ともども、安心して身を委ねられるに違いない。同じことばかり言って恐縮だが、何よりバイエルン国立管が上手すぎて、これまた、無性に幸せになる。「このオーケストラ、こんなに上手かったっけ?」と、率直に言いたくなるくらい。かつて、ケント・ナガノとのブルックナーを聴いた時、肩透かしを食らった記憶があったけれど、それを帳消しにしてあまりある、熱演・力演。

第3幕、ついに騎士が素性を明かして「ローエングリン」を名乗り、白鳥がゴットフリートに姿を変える時・・・オペラハウス中が、文字通り固唾を飲んで、その瞬間を見守った。あれだけ、会場に一体感が生まれることって、あるのだろうか?だいたい、良い演奏をしていても、アメ玉の包装紙を「ペリペリッ」とやる人とか、「ゲホゲホッ」と無節操にせき込む人とか、それにつられてせき込みが連鎖して輪唱方式になることとか、よくある。しかし、今回は違った。手元のパンフレットを少し動かしただけで、「シッ」と叱責されそうな、良い意味での途方もない緊張感が、会場中を覆った。かわいらしい少年のゴットフリートが、ローエングリンに抱きかかえられて現れたときには、何というか、言葉にはできないような体の芯から湧き上がってくる感動が、頭のてんぺんからつま先まで、いっきに行きわたった。これぞ、生でオペラを観る醍醐味!

最後、ローエングリンは消え、オルトルートとブラバント公国の人々は、ピストルの銃口を自らに向け、幕となる。舞台が暗転した瞬間、「なるほど」と、納得感のこもった空気の中から、なんともナチュラルに拍手がわき上がる。昨日のエッセンでも書いたが、この辺のお義理でない拍手が、やっぱりいい。カーテンコールでは、男声ではハインリヒ、女声ではエルザ・オルトルート両名に、強烈なブラボーが飛び交う。ケーニヒスも、やはり大喝采だ。

それにしても、良いオペラだなぁと、改めて思う。ワーグナー一流のナルシズムと、「脳内お花畑」のファンタジーワールド、さらにゲルマン魂が満ち満ちたストーリー。「はいはい」とさて置きたくなる一方、その開き直り方が潔くて、心地いい。いいオッサンのくせに、ドイツ・ロマン満開で、4時間近いファンタジーワールドを展開してしまうワーグナー、やはり、ただものではない、普通でない。異常である。ヒトラーという、これまた異常者が入れ込んだ理由も分かる。そんなことはさておいても、やはり純音楽的にも素晴らしい。

心から満たされて、オペラハウスの向かいのレストラン、シュパーテンハウスへ。バイエルンの豚肉料理、および、例の「ジャガイモ爆弾」の強烈な量にたじろぎながら、最高な気分でビールと赤ワインを堪能した。横の席には地元の若サラリーマン風の2人組。話しかけられる。「オペラ見てきたのか?何見てきた?」「ワーグナーだ」「演目は?」「ローエングリン」「ローエングリンか。長いだろ。3時間か?4時間か?」「4時間」「・・・」「明日はベルリンで、パルジファルを観る」「・・・」。どう見られているのか分からないが、楽しい旅だ。

まだ冬を引きずるミュンヘンの寒空の下を、中央駅方面へ千鳥足で(?)戻る。路上には、ビートルズを大音量で流す「自転車タクシー」や、奇声を上げる若者バカップルと、深夜になっても賑やかだ。ホテルに戻っても、興奮からか眠りも浅め。本当は睡眠時間が足りていないはずなのだが・・・。いやぁ、いい一日だった。

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この記事へのコメント

ジョバ君
2016年08月31日 15:00
もしかしたら、この公演も同じ日だったかもしれません。
その前のザルツの「オテロ」も参りました。
コメントに有りましたが、イヤーゴのホロストフスキー目当てに、大変な思いでチケットを取りました。が、闘病中の彼は早々キャンセルとなり、「寒い土地が嫌いな私」は渋々出かけたのです。
ホロ様を初めて聞いたのが、ザルツの「ドンジョ」でした。これで私は彼にメロメロ。
久しぶりに「イヤーゴ」で戻って来る、感動の公演のはずだったので、残念でした。始めは「オテロ」はボタさんだったのですね。存じませんでした。
その後ミュンヘンで「ローエングリン」を聞きました。
前日の夜調子が悪くなったフォークトがキャンセルを決めたとかで、スミスなる人が代役。友人が有名な人だと教えてくれました。そんな有名な人が一晩で来た訳だから、お家が近くでしょうと思っていましたら、どうやらアメリカの方?
わざわざありがとう。でもフォークトで聞きたかったです。
前日既に、ミュンヘン入りし「仮面」を見ようと思いました。チケットは売り切れで、最上階のチケットだけ持っていました。
当日券は無いか聞きに行きましたが無し。仕方なく最上階の席へ行きましたが、驚きました。
何も見えない。ラジオで聞いているように音だけが聞こえる席が有るのですね。でもここも満員で当然の様に地元の叔父さん・おばさんが陣取られていました。
まさか、イタリア物が売り切れるとは夢にも思いませんでした。
もしかしたら、他でも同じものを聞いているかもしれません。続いて、旅行記を読ませていただきます。
それにしてもお元気ですね?
私は移動しながらその日にオペラに行くと眠ってします。

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