酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS 【本の感想】『電通とリクルート』(山本直人著/新潮新書)

<<   作成日時 : 2017/01/03 13:44   >>

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備忘録として、日ごろの読書の「感想」を書いていくことにしたい。「書評」を書けるほどの読解力も見識もないので、あくまで「感想」。いいコンサートを聴き終わった後の感覚的興奮と同じく、いい本を読んだ後の知的興奮はたまらない。そんな出会いを求めて本を読み続けているわけだが、いかんせん、「読みっぱなし」では記憶も薄れる。本の内容を自らの血肉とするために、考えたこと、感じたことを書き記したい。

なお、本はほとんどノンフィクションしか読まない。分野はだいたい政治•経済•社会に偏っている。読む際は、「自分の意見にどれだけ近いか」といった独り善がりはできるだけ排して、「どれだけ新たな発見を与えてくれたか」「どれだけ考えさせられたか」を大切にしている。

正月休みゴロゴロ読んだ本で、なかなか刺激的だった1冊から書き始めたい。

『電通とリクルート』(山本直人著/新潮新書)

昨年末、不名誉な「ブラック企業大賞」なるものを受賞し、いまや長時間労働の代名詞となっ広告企業•電通と、どの業種にカテゴライズしていいかすらよく分からないリクルート、この二社の名前を冠した新書だ。初版は2010年だが、報道の一件で再び本屋に平積みされたようだ。2つの企業の体質を浅く記述しただけの内容ではなく、この二社を描くことで、「日本人の欲望の行く末」を見通す、社会論として書かれている。

この本のユニークなところは、電通とリクルートという二社の歩みを、日本経済の戦後史と重ねているところだ。少々大げさなようでいて、テレビや広告が、戦後の高度成長を牽引したというのは、ある面で事実だ。広告におけるコピーライトは、商品の定義を書き換え、「モノを買う理由」を消費者に与えてきたという見立てが面白い。例えば、「金曜日はワイン」のように、昭和40年代まだ高値の花だったワインを、「金曜日くらいはぜいたくしよう」と消費者に思いこませ、買う動機を与える。金曜日のスペシャル感を演出し、「手の届くぜいたく」の代名詞として、ワインを再定義する。こんな風に、日本人は上手く広告に乗せられながら、「豊かさ」の価値観を共有し、何となく「今日より明日はよくなる」と思い描いてきた。それなりに説得力のあるロジックだと思う。

だが、そうした物質経済がバブル崩壊とともに斜陽となると、広告そのものが変質したという。マスに対して欲求を喚起する「発散志向広告」から、消費者側の「受け取り方」に重きを置き、そのニーズ応えることを命題とする「収束志向広告」への転換だ。後者の代表がネット検索で、テレビCMの最後に「詳しくはWebで!」というコメントがつくようになったことが、この転換を象徴すると言う。

その結果何が起こったか。かつてのような消費欲求の喚起は、「金を持たざる消費者を傷つける」という理由で自制され、CMでは、「この商品なら手が届きますよ」とばかり、コストが最前面に出る。影響は、スポンサーとして企業をいただくテレビ番組にも現れる。消費者を傷つけないために、「見知らぬ世界」を描かなくなったというのだ。クイズ番組は、高度な知識を問うものから、誰もが知っている常識を問うものに代わった。そして、正解できない“おバカ”芸能人を、非常識と叩くようになった。歴史や時事を扱う、(程度の低い)概説バラエティーが溢れ、なぜか予備校講師や元記者が、全知全能の神のごとく解説を加えていく。ひな壇に並んだ芸能人たちは、「へぇ、知らなかった!」と目を丸くし、解説者を崇めたてまつる。そんな番組が増え続ける背景に、「傷つきたくない」現代の日本人(消費者)の心性があり、スポンサーの顔色を伺いつつ「傷つけたくない」と忖度を続ける広告会社の思惑があるという考察は、なかなか面白い。

著者の山本氏は博報堂OBで、現代の「発散志向広告」の萎縮には、不満があるようだ。そして、「成長を捨て、成熟を」という、昨今の知識人たちから発せられる声を、「持てるものの幸福論だ」と批判する。自分が一番ハッとさせられたのは、実はこの部分だ。日本社会の行く末と、ダブらせながら考えたのだ。

アベノミクスの是非には、さまざまな議論がある。公的マネーを市場に大量に投下してまで、なぜここまで「成長」を追求しなければならないのはなぜなのかという素朴な疑問がある。そして、「目に見える成果が出ていない」と指摘されながら、誰が、どういう理由で、この経済政策を支持し続けているのだろうという、不思議な思いがある。個人的には、「きっと、過去の発散志向広告に掻き立てられてきた、古い世代の“成功体験者”たちが、アベノミクスの支持に回っているのだろう」くらいの認識だった。

しかし、「失われた20年」を生き、成長の「せ」の字も実感してこなかった若者世代にこそ、心の奥底で、「得体の知れぬ“高度成長時代”を、これから生きられるかもしれない」という密やかな希望があり、それを実現してくれそうな経済政策への根強い期待があるのかもしれない。「成長より成熟を」という「持てる者の幸福論」への反動を抱き、「まずは持てる者になりたい」という、渇望があるのかもしれない。著者の山本氏は、元広告マンのプライドとして、「持たざる若者」への過剰な忖度を捨て、もう一度、発散志向の広告を打っていってもいいのではないか、と提起していると思う。著者のキャリアに裏打ちされた、芯のある考察だと感じた。

部分的には大いに首肯するが、とは言え、もうこれ以上経済は、強く、大きくはできないのではないか、という考えが、改めて脳裏をかすめた。いま、壮大な社会実験として、ありったけのカネを市場に投下しているという見方ができるが、もし失敗すれば、その負担を背負うのは、皮肉にも「持たざる世代」自身だ。成長が頭打ちなのは、何も日本だけの話ではない。世界経済がそうなのだ。いくら自由貿易市場を拡大しても、待っているのは新興国との過酷な価格競争だ。数字の上で経済が(一時的に)豊かになったとしても、暮らしが上向き、心が満たされ、「今日より明日はよくなる」と実感できるような社会になるのだろうか。自分には到底そうは思えない。この際、巨大な見識と力量を持ったリーダーが、際限ない「成長神話」と訣別を宣言し、世界を牽引して欲しいものだが、トランプ大統領が間もなく誕生するこの世界に、そんな幻想は期待できない。

話が逸れた。不幸で生きづらい時代だと、つくづく思う。「持てる者になりたい」という一縷の希望を「持たざる世代」が抱く、その気持ちも分かる。この本を読み終えてつくづく感じたのは、「成長から成熟へ」という転換を訴える言説は、「持たざる世代」からの共感を得る努力を、もっともっとしなければならない、ということだ。知性と理性だけで割り切って、世の中を変えられる時代ではなくなった。今にも崩れ去りそうな「もろさ」と「弱さ」を、「持たざる世代」は必死に糊塗して、「強さ」を演じている。そんな心に愚直にアプローチしていくしか、道はないのだと思う。経済を含めたリベラリズムの言説は、心へのアプローチが下手すぎる。

広告が築いた戦後日本人の価値観を変えるのは、同じく巧みな広告戦略でしかありえないのだろう。本の論旨からは逸れるが、そんなことを考えながら読了した。

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