酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS 【本の感想】『「自分」の壁』(養老孟司著/新潮新書)

<<   作成日時 : 2017/01/12 11:58   >>

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「この人の本を読むのが楽しみでしょうがない」という著者が、いま3人いる。一人は内田樹氏、もう一人が藻谷浩介氏、そして養老孟司氏だ。考え方や論調は三者三様だが、はっきりしているのは、3人とも「自分のことば」で、社会を、日本を鋭く射抜き、語っている点だ。決して浮遊した言葉ではなく、あくまで自らの頭、身体から紡がれる言葉で。そして、暮らしの延長にある言葉で。本を読み進めると、思いもよらぬ方向から矢が飛んでくる。これに勝る知的エンターテインメントはない。我が身を振り返り、「自分はどうか」と立ち止まる。

いまさら読んだ『「自分」の壁』も、平易な文体で綴られた新書で読みやすく、一方で内容は刺激的だ。解剖学者として遺体に向き合い続ける中で、遺体と対話し、自らと対話し、練り上げられた養老氏の言葉はきわめて鋭い。

養老氏が常々テーマとして論じるのが「自分」だ。個性偏重の風潮に強い疑問を呈し、「自分なんて矢印にすぎない」という。膝を打つ。個が尊重されるべきというが、しょせん、他人は自分とは違う。よく考えれば、他者と自分の差異ばかりを意識しながら暮らしている気もする。個性なんて放っておいても自然に残って出てくるものなのだから、「他の人と同じ部分」を探す方が大事だという。欧米では、例えば機内サービスで、「Aにしますか、Bにしますか?」と選択肢が用意され、示される。これは、選択をする主体、つまり「わたし」を際立たせるためだという。こうした個の主体性が、戦後日本で無批判に受容され続けた。養老氏は危惧する。

養老氏は、自然と人間の一体感を重視する。本書で提唱されるのは、「現代の参勤交代」だ。霞ヶ関の、財務省の官僚こそ、強制的に年3ヶ月は、田舎の畑で農作業をすべきだという。虫採りが大好きな養老氏ならではのユニークな発想だ。いつしか人は虫を忌避し、菌を敵視するようになった。エスカレーターの手すりなど、雑菌の温床だとして、手も触れたくない、といった具合に。しかし、人間の腸には、何兆という単位の菌が生きている。自らの身体を出た瞬間に、なぜ「汚いもの」になってしまうのか? これは、個を偏重し過ぎるあまりの、「自分の身体は特別なものなんだ」という過度な意識の産物だと養老氏は捉える。だからこそ、田舎で、農業をしながら、自然や世間の中にある自分という存在を見つめ直す方がいい。その主張に、自分は深く考えさせられた。

思えば、都会に暮らし、それなりの規模の組織に属して暮らしていたりすると、自分の暮らしの実感があるようで、実は、自分の暮らしとは何かがよく分からなくなることがある。周りには溢れるほど人がいるのに、何者か分からない人も多い。サイバー空間の中でしか完結しない人間関係もたくさんある。

いま、労働は多くが「代替可能だ」と言われる。成長が難しくなる中で、生産性向上のための目下の社会的な関心は、AIやIoTだという。そんな人工物に労働が代替されるのは、本来屈辱的な話だ。それは、自分の労働の代替可能性に向き合ってこなかった(向き合おうとしてこなかった)人間の側の問題でもあるわけだが、逆に言えば、それほど人間を不可視化してまで、成長や巨大化(肥大化)する意義は一体どこにあるのか。そこが分からなくもある。

去年、『逃げ恥』というドラマがヒットしていた。一話も観ていないが、星野源の歌う『恋』という主題歌の歌詞には、戦慄した。

営みの街が暮れたら 色めき
風たちは運ぶわ カラスと人々の群れ

意味なんかないさ 暮らしがあるだけ
ただ腹をすかせて 君のもとへ帰るんだ

明るくポップな曲調で歌われ、聴き流しそうになるが、ふと立ち止まって読むと、恐ろしく虚無感が漂う歌詞だ。ポジティブな思いで書かれたのかもしれないが、日本社会の深層が短い言葉で抉り出されている。

折しも、トランプ氏が大統領選後初めての会見を開いたという。かつてはリスクを懸念していた市場も、いつしかトランプ相場に狂乱している。そして、あわよくばTPPで、振り上げた拳を下ろしてくれないかなと、期待している。TPPが、さらなる日本の強さを生むのだという。

会見を流し見している時に、養老氏の言葉が脳裏をかすめ、ふと思う。人、モノ、カネが自由に行き交う環太平洋の自由貿易市場が、さらなる豊かさを我々にもたらすという言説は、本当なのだろうか、と。別に、保守化して意固地になっているつもりはない。物流の市場が、労働市場が、野放図に大きくなっていけば、社会はどうなるのだろうかと、漠たる不安を覚えるのだ。新興国市場との競争は激しくなるだろう。それが日本経済のショック療法となって、一時的に息を吹き返すかもしれない。しかし、苛烈な競争に苛まれた商品は、労働は、いっそう均質化するのではないか。人間は、いっそう物質化するのではないか。いや待てよ、別に暮らしの意味なんて求めても、意味がないのか。それでは、暮らしとは、そこに暮らす自分とは、一体何なのか…。

話が飛躍したが、自分がいま養老氏の著作を求めるわけは、そんな時代だからこそ、という面が強いような気がしている。

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