酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS アンドレア・バッティストーニ指揮 松田華音(pf) 東京フィルハーモニー交響楽団 3/12

<<   作成日時 : 2017/03/12 17:42   >>

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巷で大人気のバッティストーニの真価を確かめるべく、オーチャードホールに突撃。正直、バッティストーニブームは、CDレーベルや音楽事務所発の「官製相場」ではないかと訝しがっていたが、大いなる誤解だった。恐るべき才能である。かの宇野功芳氏も晩年褒めそやしていた指揮者だが、その絶賛評も納得。素晴らしく情感豊かで、本能に迫る演奏をする。『悲愴』を聴き感涙した。

【前半】
・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調
(pf : 松田 華音)
【後半】
・チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 『悲愴』

若い才能に大変申し訳ないが、前半のコンチェルトの松田さんには全く関心できなかった。正直、曲との相性も全く良くないし、嫌々弾いているように聴こえてしまい、ちょっと腹が立った。ドイツ・グラムフォンからCDデビューしている売り出し中の若手という事情は分かるが、バッティストーニの魅力をソリストが殺しており、キャスティングの真意が理解できない。

まだ21歳の松田さんは、冒頭から、遅いテンポで、丁寧、かつきめ細やかなピアノを弾くが、残念ながらバッティストーニの音楽性と齟齬がありすぎ、直情的で、豊麗な音を志向する指揮者に完全に喰われてしまっている。松田さんは、必死に抵抗するかのように、指揮者がアッチェレランドで煽ろうとすると、逆に踏みしめるようなテンポに落として弾いたり、小さなレジスタンスを繰り返すのである。

とにかく、第3楽章など、聴いていられないくらいにソリストと指揮者の向かうところが乖離しており、腹が立ってきた。聴衆置き去りの痴話喧嘩(ソリストが一方的に仕掛けている)に付き合わされている気分。申し訳ないが、バッティストーニの伴奏は恐ろしいほどニュアンスが豊かで、美しく、「これぞラフマニノフ!」という爽快感があるのに、ソリストの自己主張は何ら理解も共感もできなかった。

今日の演奏を聴く限り、ラフマニノフのあの豊麗なオーケストレーションと渡り会うには、(甘ったるい曲想とは対極的な)力強いオッサンピアニストの方が有利、という気がする。もしくは、(シャイーとの恐るべき大名演を残している)アルゲリッチくらいバリバリ弾き込んでくれないと面白くない。ただムード音楽的に、たおやかに、というわけにはいかない音楽なのだと再認識した。

なお、バッティストーニは、先日、反田恭平という日本の若手ピアニストと、このラフマニノフの第2番のコンチェルトのCDをリリースした。このコンチェルトの演奏もなかなか良いが、特筆すべきはカップリングの『パガニーニの主題による狂詩曲』だ。恐るべき灼熱の快演であり、こんな劇的な同曲のパフォーマンスを聴いたことがない。この曲がニガテという人にも大推薦である。

さて、怒りを引きずったままでの『悲愴』であるが、これには魂が震えるほど感動した。演奏のクライマックスは、第4楽章だ。これを聴けただけで、きょうコンサートに足を運んだ甲斐があった。人間の芯の部分に突き刺さるような、恐るべき剥き出しの感情が、燃え盛る炎のように、自分の心の中にドカドカと踏み込んできて、掻きむしるのである。息もできないほど苦しいが、音楽を聴くとは、まさにこのことなのだという、絶対的な「解」を、ロジックではなく、感覚で、分からせてくれた。本当に感動した。心が震えた。どの部分の解釈がどうだったとか、瑣末な評論はいくらでも展開できるが、あんな演奏を聴いてしまった直後、多くを語りたくはない。いっきに醒めてしまう気がするからだ。

第4楽章以前も素晴らしかった。バッティストーニは、音の引き出しが非常に豊富だ。若干30にして、自分の音楽をここまで突き詰めていることに心から敬意を表したい。

余談だが、第3楽章の終曲と同時に拍手をする人が多数いた。私はこの反応には共感できない。岩城宏之は、「自分が感動したところで拍手すればいい」と言っていたが、それは違うと思う。なぜなら、自分が感動していても、隣に座っている人は、感動していないかもしらないからだ。聴衆それぞれが、一人ひとりの異なった感性で音楽を聴き、トータルで感動できたか、できなかったか。これがコンサートを聴く妙味だと思う。楽章ごとに、「自分は感動しました!」と意志表示されるのは、次の楽章への期待が張り裂けそうな聴衆、もしくは演奏に不満足な聴衆にとって、余計な迷惑でしかない。

『悲愴』に関して言えば、第3楽章の仰々しい狂騒の後、アタッカで絶望的な第4楽章になだれ込む演奏が、劇的な効果を生むし、自分は、そう演奏されるのが「正しい」と思っている(けっして人には押し付けないが)。バッティストーニは、拍手が鳴り止むや否や即座にフィナーレを振り始めたが、おそらくアタッカで演奏したかったのではないか、と推測する。申し訳ないが、第3楽章が終わるや否やすぐ拍手をしてしまう反応は、自分には「パブロフの犬」にしか見えない。『メサイア』のハレルヤ・コーラスで(現代日本であるにもかかわらず)条件反射的に起立してしまう身体反応に似ている。

なお、第4楽章も間も無く終わりに差し掛かろうかという時、緊張感マックスの弱音が奏でられる中、ド派手な携帯の着信音が鳴った。張り倒したくなった。着信音から推測するに、年寄りだろう。品良く、静かに聴いているお年寄りもたくさんいるので、十把一からげにするのは不適切だが、コンサートの集中を阻害するのは、たいてい年寄りだ。ペラペラプログラムをめくる音を鳴り響かせたり、間も無く楽章が終わるというタイミングでのど飴の包装紙を破ったりと、まさしく暴走老人だ。携帯を轟かせた人は、バッティストーニにとオケに土下座をし、そして全聴衆に土下座をし、罪を詫びて欲しい。そして、出入り禁止処分にしていただきたい。

オーチャードホールは、恐ろしく響きがデッドだ。そのせいもあってか、東フィルの音はかなり無機的で、即物的で、味気ない感じがした。全然響かず、ちょっともどかしかった。ただ、バッティストーニとの相性は良いのだろう。

とにかく、バッティストーニの恐るべき才能を味わい尽くせた点だけでも、きょうは足を運んだ甲斐があった。

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