酔いどれ音楽&読書日記―一人の愛好家の独白

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zoom RSS ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル  6/18

<<   作成日時 : 2017/06/19 14:47   >>

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日曜午後、紀尾井ホールにて、ルイサダのショパン名曲リサイタルを聴く。これ以上望めない至福な状況設定である。ルイサダの実演は3回目だが、さすがショパン弾き、とにかく「ショパンらしいショパン」を弾く。ロマンティックで、甘く、美しい。絶妙なルバートから、刷毛で軽やかに払いのけるようなグリッサンドまで、ショパンの妙味が凝縮し尽くされている。そんなショパンなのである。

先日聴いたばかりのチョ・ソンジンとどうしても比較してしまうが、音単品の美しさでいうと、圧倒的にソンジンに軍配が上がる。一音一音が磨き上げられて徹底的にコントロールされ切ったソンジンの音に対し、ルイサダの音は結構雑味があって、序盤は結構「弾き飛ばしている」ような印象すら受ける部分があった。

ところが、ルイサダの音楽は、ルバートなどの細部の表現に綿密に気配りをしている一方で、音楽の全体設計が非常にすっきりと見通されていて、クライマックスに向けた音楽の構築が非常にうまい。スケルツォ第2番、舟歌、幻想ポロネーズなど、名曲ながら、設計が難しい音楽を、唸るほど立派に形にする。その妙義は、息をのむほど完璧に練られたものである。

アンコールでは、モーツァルトの小品、シューベルトの即興曲、ベートーヴェンのソナタから2つの楽章など、こちらはショパン以外の音楽で通す。個人的には、さすがにショパンで締めて欲しかったが…。モーツァルトは、グラスハーモニカのためのアダージョという音楽だったが、ペダルを目一杯に踏み込み、音を響かせ、久々にここまで「時代がかった」モーツァルトを聴いたという印象(グラスハーモニカのための音楽だからかもしれないが)。

ルイサダの演奏を聴いていると、グランドピアノの性能を存分に活かしながら、美しく、優美で、(いい意味での)サロン音楽的なピアニズムを目一杯に表現しようとしている趣で、なんとも聴き心地がいい。逆にいうと、結構時代がかった、『カサブランカ』のような往年の名画を観ているような気分になる。もしくは、真っ白い粉砂糖が振り掛けられまくったウィーン菓子を、クリームの乗ったコーヒーを飲みながら(ちょっと咽びつつ)食しているような、そんな気分にもなる。

ルイサダはヤマハのピアノを弾いていたが、上記のようなルイサダの音楽を表現するには、非常に適正のある楽器だと痛感した。最近、個人的にファツィオーリの瑞々しい音に大いに魅せられ、バッハなどもっぱらファツィオーリのものを聴いているのだが、先日、ファツィオーリで弾かれるスクリャービンを聴いて、曲想とのあまりの乖離に愕然としてしまった。やはり、楽器は、作曲家・ピアニストとの相性があるなぁと痛感した次第。その意味では、ルイサダのショパンにはヤマハの音色がよく似合っている。

ところで、『華麗なる大円舞曲』や『ノクターン第2番』、『マズルカ第5番』など、有名ナンバーが弾かれるたびに、首を揺らしまくってリズムをとるおばさんが近くの席にいて、本当に煩わしかった。小刻みにやるくらいならいいのだが、ピアニスト以上のモーションの激しさで、自分が「ノッている」ことを全身で表現する。勘弁してほしい。自分が感覚過敏なだけかもしれないが、手元で指揮マネをしたり首を振ったりされると、こちらのテンポ感覚が狂わせられるのである。「ここで一拍ためるのかな?」と思って聴いている時に、先導するように首を振られると、(言葉にしづらいのだが)なんというか、つられて「あれっ?」という気分になってしまい、落ち着いて聴いていられなくなってくるのである。

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