東京二期会 バッティストーニ指揮 『蝶々夫人』 10/6

また素晴らしいオペラ公演に接することができた。東京二期会の蝶々夫人。バッティストーニ指揮の東京フィルがピットに入るというだけでもそそられるが、タイトルロールを歌った大村博美が圧巻の絶唱。日曜午後の東京文化会館にて、至福の時間である。さらに、宮本亜門の演出が見事で、全体的にきわめてハイ・レヴェルな舞台だった。

大村博美は、高音部の強力な声が素晴らしく、ホールを支配する圧倒的存在感。ただ、低い音を出すときとの発声法の落差が随所で気にはなったのだが、最後の悲劇の絶唱に向かって歌唱は凄絶さをどんどん増していき、感覚を鷲づかみにされたかのよう。涙腺崩壊した。

バッティストーニは、きょうもまたぶっ飛んだハイテンションっぷりを示す。さすがオペラの大ヴェテランだけあって、テンポの緩急が見事に人間の生理にハマる。東フィルも力演で返す。素晴らしく次元の高いパフォーマンスである。

そして、宮本亜門の演出が抜群に面白い。第1幕、幕が開くのしばらく寸劇が繰り広げられたのだざ、この寸劇、アメリカで病床に臥している58歳のピンカートンが、32歳になった蝶々さんとの間の息子に、長い遺書を手渡すというもの。つまり、舞台のストーリー進行は、息子がこの遺書を読む中で自分のルーツを知っていく過程と重ねられるのである。

そして、この演出の最大の力点は、ピンカートンが決して蝶々さんを「捨てた」わけではなく、本気で愛し続けていたという解釈に置かれている。蝶々さんは、本来は非常に自立心が強い女性で、だからこそ、客に相好を崩し続ける芸者という仕事が肌に合わず、そんな芸者に戻らねばならないくらいなら、自死を選ぶとまで言い張る。方やピンカートンも自由な軍人。2人の息はぴったりだったが、結局ピンカートンはやむを得ずケイトとの結婚を選ばなければいけなかった、という解釈。

これはこれで、たしかに説得的だと思う。西洋から見た日本女性の悲劇ということでは、蝶々さんが片思いで寂しく死んでいくというのはお涙ちょうだいだが、宮本亜門はそういうエキゾティシズムとは距離を置きたかったそう。舞妓はんみたいな衣装を着た人もたくさん出てきたので、完全にエキゾティシズムを排していたわけではなかったが、宮本の解釈はこのオペラに新たな光を当てたものであったように思う。

幕切れの場面、自刃した蝶々さんと、アメリカで息を引き取ったピンカートンが、2人で天上に駆け上がっていくかのように、手を取り合って光の中に消えていく、という解釈には唸らされた。

ということで、何度も涙腺崩壊し大感動。

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